ブルーピリオド 感想

去年の夏、なぜだか急に友人から「これ面白いから読んでみて」とおすすめされた。割と漫画は好きなので、わざわざおすすめしてくれるんだったら読んでみようと手に取ったのがブルーピリオドだった。

ざっくり言えば美術系スポ根漫画。

 

やんちゃしつつも勉強ができる優等生な主人公八虎が、ひょんなことから美術にハマって東京藝大目指すというすごい設定。

今まで美術に興味もなかったのに急にそんなことあるー?!と言いたくなるが、それは漫画なのでご愛嬌だ。

 

東京藝大受験までを描く受験編(1〜6巻)は没頭して読んだ。八虎が悩みながらどんどん上手くなっていく様が描かれていて面白かった。

ただ読みながら思ったのはこの主人公、この漫画を薦めてくれた友人に似ているなということだ。

その友人とは大学時代にお付き合いしていたので、要は元彼なのだが、私が苦手とする彼の一面によく似ていて、なんだか複雑な気分になってしまうのだ。

とにかく自意識が過剰で周りの目を気にしすぎる、そして周りに影響されやすい。

すごくしょうもない話なのだが、当時付き合いたての時に同じ授業を取って一緒に受けない?と彼に誘われたのだ。二つ返事で一緒に受けることにしたのだが、いざ二人で教室に入ると周りに見られたら恥ずかしいし、イジられたくないから端っこの方で目立たないように受けようなんて言ってくるのだ。

いやいや意味わかんない誰も見てないよ。中学生じゃないんやぞ!と心の中で盛大に突っ込んだ。ていうか誘ってきたのはお前だろうよ!

 

主人公八虎はそこまで中学生のような発言はしないにしても、人にダサいと思われたくないとヤンチャ系を演じている。もはやそれがダサいのだが。

そして精神的に弱い面があって、ひどく傷つきやすい。だからこそ違う自分を演じて武装する。そして傷つかないように、斜に構えて見せることで先に予防線を張っておくのだ

そこに共感できる人もいるのだろうが、私からすると「自意識過剰じゃない?」と思ってしまってあまり好きになれないキャラクターだ。

 

主人公が努力することを「コストをかける」という言い方をするのも苦手だ。

最近はなんでもすぐコスパが悪いなんて言うようになった。コストパフォーマンス、日本語で言うなら費用対効果だ。

ここでいう費用は金銭的なことには限らない。時間や労力、精神的負担も費用に含まれる。

努力の甲斐も虚しく実らなかったことも、コスパ悪いと言っても決して誤用ではないのだろうとは思うが、努力をコストという言葉で切り捨てるのは好きじゃない。

努力と正面切っていうのが恥ずかしいからコストという言葉に置き換えてるのかもしれない。

でもこの主人公相当な努力家なのだ。

努力したって言っても誰も否定なんかしないのに「コストをかけてる」と言い換えちゃうのもこれまた自意識過剰だなと思ってしまう。

 

作品中で主人公は努力できるのは才能と言われることに憤りを感じていたのも印象的だった。

私は努力できることも才能の一つだと思う。

人と比べた時に人よりもできると思えることは基本的にそれはその人の才能なのではないか。

そしてもう一つ主人公の同級生がいう努力できるのは環境というのも忘れてはならない。

私も大学受験の際はひたすら机に向かって努力した。同級生が私立受験を終えて遊んでいる時も私は過去問を解いていたし、授業がなくなってからも毎日学校へ通い二次試験の添削をしてもらった。

今になればわかるのだが、私がそうやって勉強に打ち込めたのは私の親がそういう環境を用意してくれたからなのだ。

でも努力できるのは才能や環境によるものだからといって自分が頑張ったと思ったらいけないということではない。

自分が頑張ったと思うなら、謙遜しないで胸を張ればいいのだ。

 

ところで友人、もとい元彼はブルーピリオドを読んで美術に興味が湧いたのだそう。そして購入したと言っていたのが「絵を見る技術」という本だった。

西洋美術は文化の理解や宗教知識がないとわかりづらい面もあるし、技法や構図など名画が名画たる所以を理解して見ればなお面白く感じるのだろうとは思う。

でもせっかく絵に興味を持ったのにまず技術を勉強しようと思うのが真面目で努力家の彼らしい。そこもまた主人公に似てるんだよなあ。

「とりあえず一回有名な絵でも見に行きなよ。なんかこれ好きだな、でいいんだよ」と彼には伝えておいた。