目標を公言するって難しい
今週、会社で上期の成績優秀者の発表があった。
この間まで同じ部署で働いていた後輩が「表彰取りたいです」と公言していたのを思い出して、その名前を探してみた。
…あった。
私の会社では半期ごとに成績優秀が表彰される。
表彰される人数もそれなりに多いので、タイミングと運があれば一度くらい表彰されることは長い会社員人生の中でそれなりにあるものだと思う。
かくいう私も何度か表彰をいただいたことはある。
ただ本当に優秀な人はタイミングや運に依らないので、連続して入賞し続けている。
それが私みたいな凡人との差だ。
本当に優秀な人を掻き分けて、狙って表彰を撮りに行くのは難しい。
同じ入賞でも、たまたま入れた的なものとは価値が違うと私は思う。
私も御多分に洩れずそうなのだが、今の若い人にはガツガツ感とか積極性がないと言われる。
通知表が相対評価から絶対評価に変わった時代に育ち、順位をつけて掲示するのが良くないという風潮の中で生きてきた日本のミレニアル世代以降の若者たち。
果ては徒競走で順位をつけないでみんなで手を繋いでゴールなんて大人が言い出すのだから、そりゃあそういう風に育って然るべきなのだ。
それを大人になってからやれ最近の若い奴らは覇気がないだの、積極性がないだの言われても、そんな勝手な…と感じずにはいられない。
でも大人たちは覇気があって、積極的で熱量のある若者が大好きだということも理解している。
なんなら、自分が先輩の立場になればやっぱりそういう子の方が教えがいがあるなあと思うのも事実である。
私も勝手な大人になったものだ。
それなのに、ガツガツしすぎも嫌われる。
そしてこうなりたいという目標を掲げると笑われたりもする。
上昇志向が強いことは悪いことではないはずなのに、日本社会では激しく浮く気がする。
その辺の匙加減がとても難しい。
そんな中で後輩の彼は異動して来てすぐに「表彰がとりたいです。」と言った。
私は勇気があるなあと思ったし、先輩として応援したいと思った。
私は負けず嫌いな一面もあるが表彰が取りたい!と公言したりはしない。当然取れたら嬉しいとは思っているけれど。
それは取れなかった時の予防線を張っておきたいからだ。
しっかりと目標を掲げられる人はそれに向かって努力する自信があるからなのだと思う。
私は正直そんな自信はない。
もう一つ感心したことがある。
彼が昨年宅建を受けた。惜しくも結果は不合格だった。
その時に先輩たちが陰で「あいつ大層な目標掲げるけど、結局落ちてるし。大したことないな。」と言ってるのを聞いた。
10歳も下の後輩に対して陰口とか、だっさ…と心で思ったのは間違いない。
上司からは宅建は難しいからもう少し難易度の低い試験から受けなさいなどとアドバイスされていた。
そして今年彼は宅建に合格したことを報告してくれた。
周りが無理だと思っていた合格を、しっかりと努力して掴み取ったのだ。
先輩たちはどう思ったのだろうか。
私は彼みたいにはなれない。
でも彼みたいに目標を掲げて努力する人を悪くいうような人間にはならない。
目標を公言することが難しいことだと理解しているからだ。
応援していた後輩の努力が結ばれたことがとても嬉しかった。
おめでとう、とメールを送ったら返事が返ってきた。
「イアさんのおかげです。イアさんに教えてもらったおかげで繋がった数字もありました。」
おべっかとわかっていても悪い気はしなかった。