サラダの店サンチョ

京都にサンチョという洋食レストランがある。

伏見と四条河原町にある古き良き店だ。

サンチョは私たち家族にとって特別なお店なのだ。

 

私の両親が結婚して一緒に住んだのが京都市伏見区、大手筋商店街ちかくのアパートだった。

そしてそこから歩いてすぐのところにサンチョ伏見店があった。

私が産まれる前からよく通っていたらしく、母が妊娠して悪阻がひどくなにも食べられなかった時、父はサンチョのサラダをテイクアウトして母に食べさせたのだという。

「なにも食べられなくてもサンチョのサラダだけは美味しく食べられて、あんたはサンチョがあったから産まれてこれた」といつも母は言う。

そうやっていつも思い出話を聞かされるから、私にとっても特別なお店だ。

 

母と私はサンチョのサラダが大好きで、父は照り焼きステーキが世の中の食べ物で一番好きなのだそう。

 

今日は家族でディーラーに行った帰りに、ご飯をどこかで食べようかと言う話になった。

父がいの一番に「サンチョがいい」と言った。

いつも行くディーラーが京都にあるからか、ディーラーに行った帰りに聞くと決まってサンチョと父は言う。

そして昔住んでいた家の近くを通りながら、「こんな道できたんだなあ」と毎回言う。

「ここにはガソリンスタンドがあったのに潰れたんだな」「あの時はガソリン90円とかでさあ、いっつもボックスティッシュとか卵とか粗品まであったね。」と思い返す。

「お前が生まれる前はよく二人でこの辺のパチンコ屋で打ってたんや。調整が甘いから必ず勝てる店やった」などと私の知らない二人の思い出話をしてくれる。

もう何度も聞いて知ってる話でも私が知らない時の二人の話をしてくれるのが私はたまらなく好きだ。

 

今日はセレクトセットを注文した。

セレクトセットはメインとサラダ、スープもしくはドリンク、ライスかパンをそれぞれ好きに選べるセットだ。

2,450円と少し値段は張るのだが、大好きなサラダがお腹いっぱい食べれてお気に入りなのである。

私はいつもメインは照り焼きステーキとハンバーグ、サラダがホタテサラダと決まっている。

季節の有機野菜スープがさつまいものスープだったのでそれを選び、これまたお決まりのライスをお願いした。

 

まずスープからやってきて、それからサラダ、メインとつづく。

さつまいものスープはカボチャのスープのような甘さだった。野菜の味がして“ちゃんとした“スープの味わいだ。

そしてお待ちかねのサラダ。

サラダは2種類のドレッシングが使用されていてどちらもサンチョ自家製だ。

オーダーが入ると大きなボウルに野菜を入れてフレンチドレッシングをその場で混ぜ合わせているから、どこを食べてもしっかり味わいがあるのだ。

そしてサラダを盛り付けたらその上に甘めのサウザンドレッシングをかけて、私のもとにやってくるのだが、フレンチドレッシングの胡椒がきいたピリッとした感じとサウザンドレッシングの甘さがすごく美味しい。

そしてこのサラダ結構なボリュームがあって、食べている途中にメインがやってくる。

メインの照り焼きステーキもぜひおすすめしたい逸品だ。

薄切りのカイノミを使っているらしくお肉自体は赤身でヘルシーながらとても柔らかい。照り焼き、だけどもっと洋風で甘いタレがたっぷりかかっていてとてつもなくご飯がすすむ。

ちなみにこの甘いタレをサラダに絡めて食べても美味しい。

そしてハンバーグも美味しいのだが、気になるのはケチャップだ。酸っぱめの昔ながらのケチャップがたっぷり敷かれている。ハンバーグにケチャップを合わせるって、お弁当のハンバーグみたい。そこは自家製ソースとか作らないんだ…と不思議に思う。

でもそのお弁当に入ってそうな庶民っぽさもそれはそれで私は好きだ。

 

セレクトセットの問題は、お腹いっぱいになりすぎることだ。

私は女性の割にはよく食べるほうなので、少食な方は厳しいと思う。

ただ、セレクトセットはハーフサラダも選べて少し割引もあるので、自信がない方はハーフサイズをお勧めする。

ハーフサイズの存在も知っているし、食べたらお腹いっぱいになりすぎることも十分理解しているのに、サラダがたくさん食べたい私はハーフが頼めない食いしん坊だ。

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今日もお腹いっぱいになって帰路につく。

サンチョは半世紀以上営業しているというが、こうやって思い出の店がずっと同じ場所で変わらぬ味を提供してくれているのは幸せなことだと思う。

代替わりで味が変わったり、店の雰囲気が変わったり、跡継ぎがなくて店が閉まってしまったり、というのはよくあることだ。これからも変わらず、少しでも長く続けてくれるといいなと願う。

 

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ブルーピリオド 感想

去年の夏、なぜだか急に友人から「これ面白いから読んでみて」とおすすめされた。割と漫画は好きなので、わざわざおすすめしてくれるんだったら読んでみようと手に取ったのがブルーピリオドだった。

ざっくり言えば美術系スポ根漫画。

 

やんちゃしつつも勉強ができる優等生な主人公八虎が、ひょんなことから美術にハマって東京藝大目指すというすごい設定。

今まで美術に興味もなかったのに急にそんなことあるー?!と言いたくなるが、それは漫画なのでご愛嬌だ。

 

東京藝大受験までを描く受験編(1〜6巻)は没頭して読んだ。八虎が悩みながらどんどん上手くなっていく様が描かれていて面白かった。

ただ読みながら思ったのはこの主人公、この漫画を薦めてくれた友人に似ているなということだ。

その友人とは大学時代にお付き合いしていたので、要は元彼なのだが、私が苦手とする彼の一面によく似ていて、なんだか複雑な気分になってしまうのだ。

とにかく自意識が過剰で周りの目を気にしすぎる、そして周りに影響されやすい。

すごくしょうもない話なのだが、当時付き合いたての時に同じ授業を取って一緒に受けない?と彼に誘われたのだ。二つ返事で一緒に受けることにしたのだが、いざ二人で教室に入ると周りに見られたら恥ずかしいし、イジられたくないから端っこの方で目立たないように受けようなんて言ってくるのだ。

いやいや意味わかんない誰も見てないよ。中学生じゃないんやぞ!と心の中で盛大に突っ込んだ。ていうか誘ってきたのはお前だろうよ!

 

主人公八虎はそこまで中学生のような発言はしないにしても、人にダサいと思われたくないとヤンチャ系を演じている。もはやそれがダサいのだが。

そして精神的に弱い面があって、ひどく傷つきやすい。だからこそ違う自分を演じて武装する。そして傷つかないように、斜に構えて見せることで先に予防線を張っておくのだ

そこに共感できる人もいるのだろうが、私からすると「自意識過剰じゃない?」と思ってしまってあまり好きになれないキャラクターだ。

 

主人公が努力することを「コストをかける」という言い方をするのも苦手だ。

最近はなんでもすぐコスパが悪いなんて言うようになった。コストパフォーマンス、日本語で言うなら費用対効果だ。

ここでいう費用は金銭的なことには限らない。時間や労力、精神的負担も費用に含まれる。

努力の甲斐も虚しく実らなかったことも、コスパ悪いと言っても決して誤用ではないのだろうとは思うが、努力をコストという言葉で切り捨てるのは好きじゃない。

努力と正面切っていうのが恥ずかしいからコストという言葉に置き換えてるのかもしれない。

でもこの主人公相当な努力家なのだ。

努力したって言っても誰も否定なんかしないのに「コストをかけてる」と言い換えちゃうのもこれまた自意識過剰だなと思ってしまう。

 

作品中で主人公は努力できるのは才能と言われることに憤りを感じていたのも印象的だった。

私は努力できることも才能の一つだと思う。

人と比べた時に人よりもできると思えることは基本的にそれはその人の才能なのではないか。

そしてもう一つ主人公の同級生がいう努力できるのは環境というのも忘れてはならない。

私も大学受験の際はひたすら机に向かって努力した。同級生が私立受験を終えて遊んでいる時も私は過去問を解いていたし、授業がなくなってからも毎日学校へ通い二次試験の添削をしてもらった。

今になればわかるのだが、私がそうやって勉強に打ち込めたのは私の親がそういう環境を用意してくれたからなのだ。

でも努力できるのは才能や環境によるものだからといって自分が頑張ったと思ったらいけないということではない。

自分が頑張ったと思うなら、謙遜しないで胸を張ればいいのだ。

 

ところで友人、もとい元彼はブルーピリオドを読んで美術に興味が湧いたのだそう。そして購入したと言っていたのが「絵を見る技術」という本だった。

西洋美術は文化の理解や宗教知識がないとわかりづらい面もあるし、技法や構図など名画が名画たる所以を理解して見ればなお面白く感じるのだろうとは思う。

でもせっかく絵に興味を持ったのにまず技術を勉強しようと思うのが真面目で努力家の彼らしい。そこもまた主人公に似てるんだよなあ。

「とりあえず一回有名な絵でも見に行きなよ。なんかこれ好きだな、でいいんだよ」と彼には伝えておいた。

 

 

 

日本も今日は祝日だよね?

 

普段スポーツには興味はなく、にわかもにわかなのだけれど、今日だけは言いたい。

ドイツ戦勝利おめでとう。

 

今回のワールドカップはいささか盛り上がりにかけていた。

聞けば放映権料の高騰に耐えかねた民放各局が撤退したという。

しかも一次リーグにはドイツとスペインがいる。これでは一次リーグ突破も怪しい。

 

初戦のドイツとの試合も、朝の情報番組ではドイツの勝利とする見方が圧倒的だった。

日本が失点をどこまで抑えられるかというのが焦点のようだった。

その番組では数人のドイツ人スポーツ記者相手に「日本戦はどちらが勝つと思うか」と質問していた。

親日だという1人の記者が言葉を選びながら「日本には悪いけど、2-0でドイツの勝利だね」と答えていた。

その後も何人かのドイツ人がインタビューに答えたが、誰もがドイツの勝利を信じて疑わなかった。

加えてドイツには前回大会の反省があるという。

2018年のワールドカップロシア大会ではグループリーグ初戦のメキシコ戦で黒星を喫し、続く韓国戦でも黒星、結果グループリーグ敗退に追い込まれる事態になった。

その苦い経験から、ドイツが初戦の日本戦で温存してくることはまず考えにくい。初戦からアクセル全開で向かってくるだろうと予想されていた。

過去4度優勝経験のあるドイツが本気で向かってくると言われて、それでも日本が勝てる!と本気で思った人は少なかったのではないか。

 

それにしても今回大会のしらけたムードにはなんだか森保監督率いる日本代表が不憫に感じた。

ワールドカップといえばお祭りだ。Jリーグ中継が地上波では行われない日本でも、ワールドカップと聞けばどこからともなくファンがやってくる。

記憶に深いのは2010年の南アフリカ大会だ。

あの頃はたしか私は大学生だったのだが、暇な大学生たちは寝る間も惜しんでサッカー観戦に勤しんでいた。

そして、南アフリカで応援に使用された民族楽器ブブゼラが空前のブームになった。

結果騒音が問題になって使用が禁止される事態になったそうだが、プラスチック製のブブゼラが至る所で販売されていた。

当時付き合っていた彼氏が「ブブゼラ、おれんちあるで」とドヤ顔していたことが試合内容より記憶に深い。

とにかくあの時は日本国中が熱狂の渦に巻き込まれたのだ。

それに比べたらドイツ戦はNHKでしか放送もないし、民放各社にやる気もなければ観る側にも意欲がなかった。

 

でもドイツ戦でのあの一勝で一気に日本人の心に火がついた。

結果として私のようなサッカーには興味がないアラサーOLまでもがこうしてブログにしたためることになった。

 

昨夜、父があまりにもドイツ戦は何時からかとソワソワするので、興味があまりなかったはずなのに私まで「NHKでしか放送ないらしいよ」なんて言って気にし始めてしまった。

結局父は寝てしまっていたのだが、11時を過ぎたころにドイツ戦どうなったかなとTwitterを開いた。

前半終わって0-1、ドイツのボール支配率が80%、ドイツのシュートが14本、日本1本と書かれていて、さすが前評判通りだと感心した。

タイムラインをスクロールすると、「Abemaで本田圭佑が実況してる」というツイートを見つけた。

あ、なんかそれ見たいかも…とむくむくと興味が湧いて、わざわざテレビにAbemaTV を出力してしまった。

 

試合運びがどうとか、後半の森保監督の采配がどうとか、全く私にはわからない。

ただ興味ないと斜に構えていても、やはり目の前で日の丸を背負って戦っているのを見ると自然と熱が入る。

日本が2得点目をあげたとき。まさかまさかだった。

これでドイツに火がついて猛攻をしかけられるのではないか。アディショナルタイムが7分。

ドイツ戦を見ていた日本国民全員があのアディショナルタイムは長く感じたのではないだろうか。

実況の方も「まだあと数回は厳しい局面がやってくるでしょう。どれだけ凌げるか」などといささか後ろ向きな表現があって少し笑った。

結果逃げ切って初戦2-1で勝利を収めた日本代表。

今朝になって掌返しで歓喜の報道がされ、Twitterでは「森保監督今までつまんないとかいってごめんなさい」などと謝罪が並んだ。

人間って勝手だなと思う反面、この浮かれた感じが心地よいとも思う。

 

最後に心に残った中山雅史本田圭佑のやりとりがあった。

 

「本田さん、この歴史的勝利を見て悔しくないですか?」と中山雅史に問われた本田圭佑

少し間をおいて「結構…リアルな質問してきますね。」と答えた。

すると中山雅史が「嬉しいんですよ!嬉しいんですけど、僕は!そこに立っていたかったなと悔しいんです。」と言った。

いつもとは違う表情を見せた本田圭佑が「間違いないです。」と返した。

 

すごくグッときた場面だったので、書き残しておきたい。

 

NIPPON

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よし、免許を取ろう

昨日の話の続きをしよう。

 

fragranceofears.hateblo.jp

 

今まで運転免許を取る気はなかったのに急転直下、免許を取ることになった。

そもそも私は欲しいと思ったものはすぐ手に入れるし、やりたいと思ったことはすぐにやらないと気が済まない。典型的な浪費家タイプである。

きっかけになったのはペーパードライバーだった友人が運転をするようになったことだ。

 

友人は8年前に免許を取得し、長らくペーパードライバーを貫いてきた。

2年ほど前、彼女の兄が運転するならと自分が今まで乗っていた軽自動車を彼女に譲り渡した。

ペーパードライバーだった彼女は乗らないまま月日だけが過ぎ、1年ほど経ったある日、兄が「乗らないんだったらその車返してよ。売るから。」と言ってきたのだ。

それを聞いた友人は慌てて「乗るから売らないでほしい!」とくい下がったのだという。私に兄弟がいないので感覚的なところはわからないが、友人ながらわがままな妹だと思う。

それから1年弱、友人は毎週兄についてもらいながら車の運転の練習を始め、今年の5月晴れて独り立ちの許可が出た。

 

友人の初めての助手席は私だった。佐川美術館で開催のバンクシー&ストリートアーティスト展を見に出かけた。

「混んでる駐車場は停められない。頭からしか突っ込めない。」と彼女が言うので、予約時間の30分前に到着し、ガラガラの第二駐車場に停めてもらった。

別になんてことはない。佐川美術館にしたってバスで行こうと思えば行けるはずだ。ただ車に乗れる、それだけで世界が広がるんだと感じたのだ。

また別の日にも車で1時間弱かけてカフェに連れて行ってもらった。車が運転できるっていいなと思うには十分だった。

 

それに私は今31歳独身女、恋人もいない。

つまり、このまま誰とも結婚することなく生きていく可能性が極めて高い。

正直途切れることなく恋人がいた学生時代は、彼氏に運転してもらえばいいと思っていた。アラサー真っ盛りを迎えた私にそんな彼氏はいない。

じゃあ自分でなんとかするしかないんじゃないの?と思い至ったわけだ。

ついでに私は一人娘。今は父が車を出してくれるが、いつまでもできるとは限らない。現状、もし体調を崩して病院に連れて行く必要ができても、私はタクシーを呼ぶしかない。

まだその時までには時間があるけれど、今よりさらに歳を重ねてから新しいことにチャレンジするのはエネルギーが必要だ。

だったらまだ若い30代の今のうちにやっておくべきことなのではないかと思い至った。

 

そこから私は目標を立てた。

年内に運転免許を取得して、車を買う。

 

ペーパードライバーになった知人のほとんどが自宅に運転できる車がないことから運転しなくなったと言っていた。

私は絶対にペーパードライバーになりたくない。だったら免許を取ったらすぐ車を買おう。

勤続8年、免許の取得費用と車の購入費用を捻出できるくらいの貯蓄はある。

今が私の免許取得のタイミングだったのだ!と思い私は教習所探しを始めたのだった。

 

 

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運転免許を取らなかった理由

今年急にチャレンジしたことがある。

31年間今までやってこなかったこと。車の運転だ。

 

ペーパードライバーは私の周りにもたくさんいる。

母親だって20年来のベテランペーパードライバーだ。

でも私はそもそも運転免許を持っていなかった。

これは地方住みの私の周りではかなり珍しいことだ。

職場でも免許は持っている前提で話は進み、ペーパーなのかそうでないのかで分類される。

 

免許を持ってないというと続いて聞かれるのは「なんで取らなかったの?」だ。

ペーパードライバーであることに「なぜ」と疑問を呈すること少ないのに、そもそも免許取らなかった人間は「なぜ」と聞かれてしまう。

正直私はペーパードライバーなのになぜ免許取ったのかと聞きたい。

 

私が免許を取らなかった理由に深い意味はない。

必要だと思わなかった、これが一番大きいのだ。

私の家に車は一台しかない。その一台も毎日父が仕事に乗っていく。運転の得意な父がいるときにしか私の家に車はない。

必然的に運転するのは父だ。だから母も父に病気が見つかったことを機に免許を取ったが、晴れてベテランペーパードライバーになったのである。

自宅から最寄りの駅まで徒歩10分、歩けばなんでも揃う地方都市で車がないと生きていけないと思うこともなかった。

 

二つ目に、自分には運転適性がないと思っていた。

私の父はプロのドライバーで、常にこういう時はこうすべきだとうんちくを垂れながら車を運転するタイプだ。

私はそんな父が頼もしく感じるし決してきらいではないのだが、そのうんちくを聞くにつれて私には出来ないと思うようになった。

小さい頃からトロいと言われてきて自分でもマイペースだと思うし、瞬時に色々考えて行動するのは苦手だと理解していた。

 

三つ目、お金がなかった。

大抵の大学生は在学中に教習所に通うことが多いと思う。

私の周りも実際そうだった。猫も杓子もというと言い方は悪いが、仲良くしていた女子メンバーも全員が在学中免許を取った。

ちなみに私の知る限り3人中2人はペーパードライバーになっている。

当時付き合っていた彼氏も合宿免許だかで免許を取得していて、私にも免許を取ることを強要してきて死ぬほどうざいと思ったものだ。

とはいえ一応私も大学時代に周りの動きに合わせて免許を取ろうか母に相談した。

母から返ってきたこたえは「車の免許を取るのにお金は貸さない」だった。

付け加えて海外に行くなら貸してもいいと言われたものだから、私は母に30万円を借りて、カナダに1ヶ月行くことにした。私の切り替えの速さもどうかしてる。

母に言わせてみれば車の免許なんて社会人になっても取れるし、それならまとまった休みがある大学生の今しかできないことをする方が有意義でしょ、ということだ。

さすが母の言う通りだった。

 

そんな三つの理由があって運転免許取得を避けてきた私が結果一念発起して免許を取る事態になったのである。

それについてはまた今度。

 

 

能動的三分間

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ひさしぶりに文章を書きたくなったので感想文

最近テレビで湊かなえの「母性」が映画化されたということで、CMや番宣を見るようになった。

普段あまり読書をしない私だけど、湊かなえは好きな作家と言ってもいいと思う。

ところで私はハードカバーが苦手で文庫になってから購入したいタイプだ。

文庫の方が値段も安いし、コンパクトで通勤に読むにも手軽だからだ。

単行本が出ればすぐに買う、というほど大ファンではないけれど文庫化されているのを見かけたら買うようにしている作家さんなのだ。

とはいえ、普段読書をしない私なので湊かなえ以外にそういう作家がいるかといえばいないので、やはり私にとって好きな作家なのだと思う。

 

私が「母性」を読んだのはいつだったのだろう。

そう思って発行年を後ろの頁で確認してみたら平成27年だった。思っていたより昔で驚いた。

「母性」といえば、この一文。

愛能う限り、娘を大切に育ててきました

どんな話だったかな…と、正直最初に番宣を見た時には思ったけれど、この一文が出てきた瞬間にスッと内容が思い出せた。

それくらい印象的な言葉だった。

そうしたら急に読み直したい気持ちに駆られて2日間かけてもう一度読んだ。

 

湊かなえの作品に出てくる人間は基本的に嫌な部分がよく描かれていて気持ち悪いと感じる。

完璧な善人など世の中にはいないのだから、それが逆にリアリティがあって好きなのかもしれない。

「母性」もやはりどいつもこいつも仕様のない人間ばかりだなと思わされることが多い。

 

基本的に私は主人公に対して感情移入しやすいタイプだけど母親、娘…どちらにも共感しづらいと思った。

母親に対しての方が嫌悪感が強かったかな。

映画のトレーラーを見ていると空気の読めない娘として描かれているけど、空気読めないと言われるのは可哀想な気がした。

私は子供がいないし、娘の立場しか経験していない。

そんな私からすればこの母親の考えや行動は「母親なのに…」と思ってしまう。

母親でないが故の母親というものに対する理想があるからかもしれない。逆に子供だから仕方ないという甘えもあるのかも。

自分が母親になった時にまた見方が変わったりするんだろうか。

 

湊かなえ得意の異なる視点から描かれていくスタイル。

母親の視点と娘の視点。どちらも同じ出来事なのにお互いの想いや受け止め方が違っている。

どちらが本当でどちらが嘘なのか。

まあ、お互いからすればどっちも本当のことなんだろう。

私自身母と喧嘩することがあるが、私は良かれと思って言った言葉を母親は皮肉と受け取っていたりする。

同じように生活していても別の人間だから受け止め方は親子でも同じとは限らない。

私の偏見だけれど、女性は特に主観的な生き物だと思う。

だからお互いの独白は決して事実を歪めようとして嘘をついているわけではなくて、本人にとってはそれが事実なのだ。

その様がまさに女って感じがしてリアルだと思う。

 

ところで、映画「母性」のキャスティングが私には違和感がある。

戸田恵梨香ライアーゲームやBOSSにどハマりした私にとって好きな女優さんの1人。

永野芽郁も可愛いけど…あれ?この2人ドラマ「ハコヅメ」で先輩後輩の間柄だったではないか。

この短いスパンで親子役で再共演は見る側としてはかなり違和感。

というかそもそも戸田恵梨香って母親役させられるの?!とか思ってしまうのは世代的な問題でしょうか。

私の中で母親はもっとふんわりしたイメージがあった。

外から見ればふんわりしていておやつにお菓子でも焼いてくれそうな母親なのに狂気じみたことを考えているのが「母性」の母親。

なんというか、暴言を吐いた時に「えっそんなこと言っちゃうんですか?」っていう感じが欲しいのに、戸田恵梨香は結構サバサバしているイメージがあるから「言いそう〜」ってなってしまうんだよな。

じゃあ誰がいいかと聞かれると、答えに窮してしまう。

万人が納得するキャスティングなんて存在しない。

 

ただ1人だけ、この本を読み返しながら明確にイメージを持ったのは父親だけ。

なんでなのかはわからないし、別に好きな俳優でもないけれど、長谷川博己だった。

多分いつしか見た月9ドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」で演じた高等遊民の雰囲気かもしれない。